2017年11月25日
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“長楽渡”の前世と今生

南京は中国でも有名な四大古都の1つで、歴史文化的に有名な都市だ。1100年来、絶え間なく流れ続けた長江は、長江文明をつくり育てるだけでなく、南京という江南都市を生み出した。南京は長江が流れ、山水もあり、山や川は美しく、鐘山龍蟠や石頭虎踞など、古跡も多い。著名な文学家の朱自清氏は南京に旅行に来た後、≪南京≫という一文中に次のような評価を書いている。“南京をぶらつくのは、まるで骨董店をぶらつくようだ。いたる所に時代に侵蝕された痕跡がある。それらを推察し、偲び、想いを馳せることができる……”

旧時代の南京に触れる時、欠かせないのは城南だ。歴史上の城南は南京で商業と居住が最も発展していた地区で、代々文化人や富裕層が住んでいた伝統的なところだった。有名な沈万三の住居や、桃葉渡、長楽渡などは、すべてここにある。多くの金陵文化はこの古い地区に神秘と煌めくような色彩を与えられてきた。

有名な桃葉渡は南京の城南、秦淮河にある古い渡し場だ。秦淮河と青渓水道の合流部の付近にあり、南は貢院街東から、北は建康路淮清橋西まで伸びていて、またの名を南浦渡という。六朝から明、清まで、桃葉渡はずっと賑やかな地区だった。河と船が競うように並び立ち、船の明かりがもの寂しげに灯り、はるか長楽渡と呼応しているようだった。

それに、“桃葉渡”という名前の由来にもとてもロマンがある。伝説では、東晋の書道家、王献之の花嫁の名前が“桃葉”で、彼女は秦淮の両岸を往来する時、王献之は心配でならずに、いつも自ら秦淮河の渡し場まで迎えに行き、“桃葉よ桃葉、河を渡るのに櫂は使わないでおくれ、でも苦しまないでいいよ、私が迎えに行くから”という≪桃葉歌≫を作り、渡し場から大声で叫び続け、そのうちに南浦渡は桃葉渡と呼ばれるようになった。後の人々は王献之の記念として、彼が当時、桃葉を迎えに行っていた渡し場を桃葉渡と名付けた。

“長楽渡のあたりは、秦淮の河畔で、莫愁湖の船が繋げられている。西に曲がった河は、過去の出来事の前にぼんやりと霞んでしまう”この短い詩は唐代の長楽渡の古いロマンから出来たものだ。秦淮の河畔に位置する長楽渡は歴史上もっとも有名な渡し場で、民国初年に渡し場の西岸に建てられた石碑には、“古長楽渡”の四文字が刻まれている。清代は渡し場の近くに老鸛廟があったので、古跡名は鉄老鸛渡だった。清代の詩人、紀映鐘は≪老鶴亭≫の中で“一亭は小舟で南に渡った。ロバが何度も載せられては船が浮き沈み、春の晴れた天気に映える水は玉のようで、道行く人の白髪とそれだけが輝いていた。”と書いた。これは長楽渡を記念する最高の詩篇だ。

明朝から、ここは南京の富豪たちの住宅街となり、お金があれば濃厚な金陵の雰囲気を味わえるようになっていた。現在、都市の中心の変化や、経済発展が起こっても、南京城南の故事は依然として人々によって記され続けている。城南の風情と“南富東貴”の建築様式を復興させるため、雅居楽長楽渡というプロジェクト名で明、清時代の建築様式での修復が始められた。“青レンガと小瓦の馬頭壁、廊下に花びらが落ちる格子窓”このような中国式の別荘には伝統文化が集められていて、城南の元の顔を再現してくれる。