2017年9月27日
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教会建築の芸術

ある詩人はこう言った:建築は凝固された音楽である。教会建築と一般建築の違いは、教会が人間の魂を安置する神聖な場所だという事だが、南京市内にある教会は幾年もの歳月を経てこの町の歴史を静かに見守ってきた。そのためか、古い建物全体から滲み出でてくる無音の記憶は、祈りにやってくる人々の魂の物語だけではないような気がする。

莫愁路教会
歴史の洗礼を受けた英国式教会

人々の往来が賑やかな新街口の西側・莫愁路309号。厳かにそびえ立つ時計台が特徴のこの教会はシンプルかつ優雅な建築スタイルでエキゾチックな雰囲気を醸し出しており、意匠を凝らしたデザインが印象的だ。ここは現在、南京で主にキリスト教の宣教・布教活動の場として広く知られている。

19世紀80年代、南京キリスト教教会は莫愁路漢中堂という名の教会を建てた。しかし1934年、南京市政府が莫愁路の道路整備の際にこれを取り壊した為、南京キリスト教教会は教会の再建を決定し、莫愁路に陳明記営造工場代表・陳裕華による設計で孫希聖牧師を中心とする教会を新たに造った。1936年5月19日、教会の起工式をとり行うも、抗日戦争の影響でこれより6年後の1942年に完成することとなる。

伝統的なブリティッシュスタイルを採用した莫愁路教会は、精緻な設計がその細部に至るまで施されている。例を挙げれば聳え立つ時計台の入り口脇にある窓の尖塔の造りは特に目に新しく、はっとさせられる魅力がある。建物は平面の十字型、屋根の部分は合掌造りで周辺の建物と比べると全く異なった風格である。建物の角や門、窓に象眼した石材が使用されているほか、およその材料はレンガと木材のみ。建物全体の面積は1800平方メートルで広々とした神聖な空間を演出している。その他、ゴシック式アーチ型のゲートと細長いアーチ型の窓によって装飾を施された正面には、白コンクリートを用いた美しいレリーフと白い石材によって作られた高さ17メートルにも及ぶ巨大アーチがあり、そのフィニアルには教会のシンボルである星と十字架がデザインされている。また、正門の上部には金メッキを使った「基督教莫愁路堂」の大きな文字が彫られ、道行く人々の視線をおのずと引き付けている。

教会の入り口は長さ4メートルの廊下へ通じ中央、両側のどちらからでも礼拝堂に行く事ができるほか、廊下の東側通路は時計台と直結している。また礼拝堂は大きなアーチ型で中に三角形(正面から見て漢字の「人」に見える)の柱がたっており木製の梁が両側から中央へとかけられ円形をしたオーナメント等で装飾が施され、至って不思議な造りをしている。このスタイルは16世紀イギリスのドトール王朝期に確立したもので、金鎚式、またはドトール式と呼ばれている。礼拝堂の左右両側はレンガを使ったドーム型で外側が通路となっている他、礼拝堂全体は中央と左右の三部分に分けられる。(奥行き33メートル、幅29メートル)礼拝堂の前方には木製の聖壇があり、その両側にそれぞれ小部屋が設けられている他、聖壇の周りに沿った木製の腰羽目の中央に十字架がひとつ置かれている。建物の西南側にある壁の隅には1936年、ヒョウ玉祥将軍が教会の落成式の際に書いた石碑が立ててある。石碑は花崗岩でつくられており、象眼を施した楷書体で文字が刻まれている。教会を訪れた際にちょっとのぞいてみてはいかがだろう。

聖パウロ教会
まことしやかなゴシック式建築

南京市太平南路396号にあるこの教会は南京で最初に出来た正式な基督教礼拝堂である。1923年に盛大な落成式が行われ、正式名称を聖パウロ教会とした。当時ヨーロッパで流行していた復古式スタイルの設計で建物自体の規模こそ大きくないものの、伝統的なカントリー風の教会である。1910年、季盟済会長が南京市馬府街の借家で宣教活動を開始したことから聖公会が誕生した。それから二年後門簾橋を買い取った。現在大平南路にある古い家屋がそうだが、1913年に一旦取り壊され最高責任者の季会長によって教会が再建された。当時アメリカのある信徒から寄付金が送られてきたが、この信徒の息子が第一次世界大戦で戦死した為、季会長は受け取った寄付を全額献金したという。

教会の設計は金陵大学の建築設計士斉兆昌によるもので、陳明記営造工場によって建設された。教会建設及び設備の為投入された金額はのべ一万二千ドル、当時の中国で四万八千銀貨である。ゴシック式デザインのこの教会にはアーチ型のゲート、レンガ造りの時計台、壁に取り付けられた箍(たが)、時計台の頂上部等各部に象眼を施した白石が使用されている。莫愁路教会の外壁は基本的に青いタイルが使用され、入り口から建物の角、窓枠に至っては聖パウロ教会と同じく象眼された白石が使われている。内部は非常に精巧な造りになっており、中国伝統の建築方法によるゴシック式クロスアーチがかけられている。またこの教会を建造するにあたり様々な建築材料が用いられ、いたるところでデザイナーのこだわりが感じられる。壁は旧南京城城壁に使われたレンガを磨き上げたものを使用し、すべての窓、扉、時計台、タレット、アーチ、また礼拝堂内部のステージや洗礼台、内陣、欄干等各部に高資山でのみ採取できる精製した白石が使われている。また、壁に取り付けられた円形の箍やアーチの裏側には程通甫氏による経文が刻まれ、江鑑祖会長によって金箔が施された。フィニアルはコンクリートブロックで造られた時計台で、その内部は螺旋階段となっている。直径2メートルにも及ぶ巨大な吊り鐘は、今日もこの街に心地よい鐘の音を響かせている。

石鼓路天主教教会
南京で最も古い教会

「欧米との文化交流の先駆者」と称えられたこの教会は、イタリア人宣教師リマドーによって建てられた。ここは南京市に現存する教会の中で最も古く、すでに四百年の歴史がある。1599年2月、リマドー宣教師は南京の西方にある羅寺付近に自宅を購入、後に改造を施し自身が宣教活動に使用するための小さな教会を作った。「羅寺湾役場」と呼ばれたこの教会は南京で初となる天主教教会で、後の石鼓路天主教教会の前身ともなった。石鼓路天主教教会は1868年、仏教の古刹跡の廃墟で建築を開始し、その二年後に完成した。当初、教会名を“聖母マリア処女受胎教会”と言った。1927年、北伐戦争によって多大な損壊を受け、一時厩(うまや)として使用された。一年後の1928年、国民政府より15万元もの修理費が支給され、再度教会として人々の憩いの場所となって蘇る。外観は古代ヨーロッパの教会建築によく見られる丸屋根(アーチ型天井)構造と光線による色彩活用の伝統手法にならい、ローマ風建築を模して造られた。しかし技術面と建築材料に限りがあった為、屋根の部分は依然として中国伝統の建築方法が採用された。また下部には緩やかな曲線の木材と木摺(きずり=細長い木材)を用い、ローマ風円形アーチを吊天井としてつるした。

これら建築スタイルがたとえ模倣とは言えども、実際のところ本物に勝るとも劣らない出来である。内部は主に、天井の高い中央ホールと天井の低い両端の廊下、そしてホール中央に設けられた聖壇の三部分によって構成される。ホールの径間は両端の廊下より明らかに広く設計されており、内部の空間を明確に区分した配置となっている。内装はゴシック式教会の建築構造を模し、中央部分に並んだ柱は空間を仕切る役割も果たしている。また、内部に古代ヨーロッパの教会建築スタイルを用いているため、宗教的な影響力が教会全体に瀰漫しているのが一目瞭然である。ホールに立ってふと天を仰ぎ見れば、十字型に交差した立体的なアーチ型吊天井となっており、柱と一体となったその自然な造りは一種の気品さえ感じられる。